vol.8 その見方、間違っていませんか
自分の周りに対する理解、解釈が
間違っているかもしれないと考えることはありますか。
例えば、
「こんなに気を使っているのに、あの人は自分のことばかり考えている」
「あの人は分かっていない」
「それくらい分かるでしょ」
「どうしてこれくらいのことができないの」などなど
このように思うときありませんか。
自分視点が常識という前提ですので、
このように思うことは自然なことです。
ところが、
反対に自分が周りから同じようにそう思われたり、
実際に言葉で聞いたら、どうでしょうか。
素直に「はい、そうです」と認めますか。
腹が立ったり、不快になったり、
言い返したり、感情的になったりしませんか。
或いは、「自分はそうじゃない」と
いろいろと言葉を並べて正当化しようとしませんか。
相手が間違っていると思いませんか。
それだけでも、
人間関係が悪くなることがあり得ます。
その小さな積み重ねが大きな問題になることもあり得ます。
なぜ、だれもが自分の視点すべてが
一般常識、正しいと思うのでしょうか。
例えば、社会問題にもなっている「パワハラ」について
考えてみましょう。
なぜ、人間社会のなかで、
「パワハラ」は起きるのでしょうか。
考えてみてください。
パワハラしている本人は
パワハラと思って言動、行動しているでしょうか。
おそらくそう思っていないでしょう。
その人の基準(当たり前のこと)だから無自覚です。
ところが、パワハラされている側にとっては、
当然ながらそれは非常識と思っているはずです。
もちろん、パワハラは人格否定することなので、
あってはならないことです。
それが誰もが考える「常識」です。
もしかしたら、パワハラしている当人でさえ、
そう思っていることでしょう。
これは「いじめ」や「セクハラ」も同様です。
これらは極端な例なので、
自分はしていないから大丈夫と思っているかもしれません。
つまり、「他人事(ひとごと)」です。
誰もが「自分事」にならない限り、
意識することもありません。
さらに言えば、意識しても、
自分の「思い込み」に気づけるかどうかです。
そこがストコーマ(心理的盲点)です。
このように日常のあらゆる場面を
人はどう捉えているか。
人は意識しなければ、
自分事が一番の関心事であり、
相手を理解することより相手に理解されようとします。
相手のことを理解しているのであれば、
上記の「あの人は分かっていない、
それくらい分かるでしょう」とは思うことはないでしょう。
それらの言葉は
「自分を理解しろ」と言っているようなものです。
それは相手もしかりです。
このように相手を理解することはとても難しいことです。
その「人間の当たり前視点」が
あらゆる人間関係を難しくする原因となっています。
まず、この人間の無意識な捉え方を
気づけて自覚できるかどうかです。
そして
受け入れることができるかどうかです。
つまり、そこにいいも悪いもなく、
常識や考え方、抱く気持ちの違いが
人それぞれあるということです
人は自分の感情や身体感覚
つまり体を切り離すことなく、
いろんな事象を見ています。
人の視点の数だけ
感情や身体感覚、取り巻く環境があります。
物事を捉えるのに
感情や身体感覚を切り離すということはあり得ないので、
通常は客観的に見ることはできません。
しかし、必要なのは、
実は客観的でなく相対的です。
「相対的」とは主観的でありながらも、
自分と相手の感情や身体感覚を含めた知性や情報で、
その事象を捉えたものです。
まさに、感情や身体感覚を置いてきぼりにすることで
苦しんでいるのが今の人間模様ではないでしょうか。
自分の気持ちと切り離して、
相手の気持ちにどれだけ寄り添って見れるかです。
自分視点がよりよい関係、
よりよい未来を阻んでいることに気づくことです。
そうはいっても、その時になれば、
たいてい自分の感情が先立ちます。
それでは、
実際にどうすればいいのでしょうか・・・・。
ご縁を頂くあなた様の気持ちを大切にした
「よりよい」ものを提案していこうと思っています。

