vol.16 自分の思いが伝わらないことに納得できませんか?
人間関係において、一番難しいことは
「人を理解すること」だと私自身は思っています。
誰もが人のことは理解していると思っているかもしれませんが・・・。
特に身近な人のことは理解できていると思っていることでしょう。
それが家族であったり、友達だったり、職場の人だったりです。
その一方で、日常で自分のことを
理解されていないことを感じることはありませんか。
誰もが人を理解することはできるのに、
なぜ理解されないことがあるのでしょうか。
相手が間違っているとか、おかしいとか、非常識だからですか。
ということは、
相手が自分の考えを受け入れてもらえないのが
おかしいという考えですか。
誰もが日常で起こり得る出来事(行為や言動なども含む)によって、
人間不信に陥ったり、
人に合わせたり、
我慢したり、傷ついたり、
時には溜めたものが爆発したり、
感情的になったりすることがありませんか。
理解することが本当にできているのであれば、
そういう気持ちにならずに理解もされているはずです。
つまり、理解されていないと思うのであれば、
本当は相手を理解することができていないのではと考えられませんか。
ところで、ハーバード大学が行った「成人発達研究」をご存知でしょうか。
これは1939年からスタートした研究で約80年間にわたって
724人の人生を記録し続けたものです。
全員が10代のころから調査を始めたものです。
参加者の行く末は幅広く、
弁護士や医者になった人、
サラリーマンや工場労働者になった人、
ホームレスになった人まで様々です。
彼らの多様な人生をすべてパッケージ化したうえで、
「人間の幸福にとって最も大事なものとは?」の答えを数字で割り出しました。
そこで明らかになったことは、
私たちの体を健康にし、
心を幸福にしてくれるのは、
富でも名声でもがむしゃらに働く事でもなく
「良い人間関係」ということです。
しかし、
何より「良い人間関係」が幸福をもたらすはずなのに、
人間関係の不和によって、ストレスを溜めて、
不幸になっていくのも事実です。
良い人間関係を維持するための前提は何が必要でしょうか。
日々を幸福に暮らせるように、一つ考えてみましょう。
まず、ご自身を観察してみましょう
(ちなみに専門用語で「メタ認知」と言います)。
例えば、
自分の間違いを素直に認めて謝りますか
それとも、自分の間違いを認めず、言い訳ばかりしますか。
と、尋ねられたらどちらか一方を答えるはずです。
実は、どちらの自分にもなり得ます。
その時の状況と関係性によります。
お分かりのことだと思いますが、
たいていが感情的に(心が不安定に)なれば、
間違いを認めるより、自己正当化をします。
一方で、
その人自身の考え方や相手にもよりますが、
心が満たされていれば、
素直に謝ることができます。
間違いを認めないことが良い、悪いと言いたいわけではありません。
その時その時に違う反応をしている自分に気づけるかどうかです。
つまり、一貫性を保てていない自分に気づくかです。
なぜこの話をするかと言うと、
その時の反応の仕方によって、
人に与える影響が変わってくるからです。
日々、人に良い影響を与えられるように努めていますか。
「親の背中を見て子は育つ」と言いますが、
良い人間関係の土台はまさに「自分の思いより行為で示せ」です。
それが一方向でも構いません。
大事なことは一貫性があることです。
例えば、
どんなに言いたいことがあっても言い訳せず、
自分とって不都合になっても素直に謝る行為を示せばどう感じますか。
許せる気持ちになったり、
何とかその人を助けようと思いませんか。
他にも、日常で自分のダメさ加減を認めながらも
何とか克服し続けている人に対して何か感じることはありませんか。
「自分も、私も、俺もやらなきゃ」って思いませんか。
勘違いしないようにしてほしいことは、
良い影響を与えるとは、自分の能力の高さを示すことではありません。
相手も自分も本当はそうしたほうがいいと思っているのに
感情が邪魔してなかなかできない行為のことです。
特に自分が不快な状況に陥ったときにどんな行為を示すかです。
その一貫性ある行為以上に説得力を持つものはありません。
その一貫性を保つために最も必要なことは、
「良い心」を維持できるように努めることです。
つまり、生涯、心を育て続けることです。
なぜなら、日常で自分の行為に最も影響を与えるのは
その時の心の状態(感情)だからです。
日常では理性より感情が優位なため、
どんな感情を抱くかによって
行為の示し方や理性の使い方が良くも悪くも変わってきます。
大事なことは人をコントロールしないことです。
理解されないという思いは
人をコントロールしようとする思いと同じことです。
もっと言えば、
相手を自分の考えに変えようとしていることと同じです。
考えてみてください。
自分で自分を変えることの難しさは分かるはずです。
それを相手に求めているようなものです。
難しいから、伝わらない不快な思いを理性で抑えたり、
あるいは、理解ある人に共感してもらって心を安定させようとしませんか。
このこと自体は自然なことですが、
同じ思いで違う結果を望んでいても変わることはありませんし、
自分の思いが伝わることもありません。
そういう思いをするくらいなら、
心を楽にするために、理解されないことが当たり前という前提で、
どうやったら気持ちよく自分の思いを受け入れてくれるかを考えることです。
つまり、自分の見方や考え方を変えてみることです。
自分の思いを理解してほしい相手とともに
よりよくなろうと取り組むことです。
そのための相応のプロセスを設定することです。
人は変われますが、急には変われませんから。
何より人の理性と脆弱な人間性という
自己責任だけに任せていることが問題です。
理屈道理に動く人間として
相手を捉える無自覚な感覚こそ
意識して止めるべきではないでしょうか。

