vol.5 理解されない思いは募るばかりですか?
理解されていないなと嫌な気持ちになることはありませんか?
誰もが生活を思い通りにしたいと願っています。
自分で思い通りにならないことが続いている
(多くの時間を費やされる)ほど心が荒んでいくことはありません。
自分が、何を、いつ、どのようにするかが
他の人(自分以外)によって、
または外的な状況(今の役割など)で決められてしまう。
自分ではどうすることもできない力によって、
操り人形のように動かされているように感じることもあるかもしれません。
心理学者によれば、
自殺はコントロール願望の最終的な現れであることが多いといいます。
つまり、極論としては
自分がコントロールできるのは生きるか死ぬかの選択だけということです。
自分以外のものに
多くの出来事をコントロールされるようになると
人は幸福感を味わえなくなり、
日々のパフォーマンスが低下します。
心の安らぎを感じられなくなります。
ちなみに「心の安らぎ」とは、
誰もが求める最高の満足感や幸福感のことです。
しかし、そう感じながらも人の目や
人の気持ちを気にし過ぎていませんか?
一方で人に好かれたい、
人に嫌われたくない自分が存在します。
人に頼まれれば、嫌と言えない、断れない自分がいます。
つまり、本当の気持ちと違うことをしてしまう自分がいます。
では、どうすれば自分の思い通りになるのでしょうか
人間の根本欲求の一つとして、帰属意識があります。
帰属意識とは
「他者と関わりたい」とか
「何かの集団(コミュニティ、家族など)に属したいという欲求です。
人間は社会的動物なので
基本、一人では生きていけません。
「自分の話を聞いてくれる人」
「自分のことを認めてくれる人」
「共感してくれる人」を好きになりませんか。
反対に
「無視されること」
「仲間外れにされること」
「理解されていないと感じること」は不快になりませんか。
そもそもの前提として、
誰もが人間である限り「自分」という中心が存在し、
これをベース(基準)にして
物事を見て、思考したり、判断したり、評価したりします。
人が意識できるのは
あくまで自分だけで、
自分以外を意識できません。
だから、培ってきた環境や経験値も性格も違うので、
自分が他人を見る目と他人が自分を見る目は
決定的に異なっているはずです。
自分を中心にしてしか
物事を考えられないということが、
あまりに当たり前のことすぎて無自覚です。
実は無自覚だからこそ、
自己矛盾という言動や思考に現れます。
例えば、パソコンが得意な人は、
できない人がなぜ苦労しているのかを理解できません。
どんな些細なことであっても、
それをまだ知らない初心者にとっては難しいものです。
と同時に、かつて自分が
未熟で無知だったころのレベルを
正確に思い出すことも難しいものです。
その結果として
「そんなこともできないのか」と注意したり、
思ったりするのは、熟達した立場からの自分視点となるのが普通です。
しかし、自分では客観的に捉えている(常識)と思っています。
つまり、人は自分のことを棚に上げることに関して無自覚です。
さらに言えば、
できないことや、不得意なこと、弱みに関して
自分のことは特別と考え、
人のことは一般的に考えます。
そういう視点で捉えれば、
誰からも好かれることもないし、
すべてを理解されることもありません。
多くのことが人との関係性の中で成り立っているので、
自分の思うようにならないのも当然のことです。
自分がそうだから相手もそう思うはずとはなりません。
だから、その前提を変えることです。
すべてはコントロールできないものに振り回されるような、
心を奪われているような自分にしていることが問題だということです。
嫌われてもいいと思える自分、
断れる自分、理解されなくてもいい自分、
思い通りならないのは当たり前と思える自分にしていくことです。
だからといって、
我を通せということではありません。
人に合わせることや
人の目を気にすることばかりに囚われれば、
鎧をまとうことになり、
自分で自分を生きづらくしてしまいます。
自分の思い通りにして
心の安らぎを得ようとするのではなく、
良くも悪くも周りに囚われず、
自分らしく生きることで心の安らぎを得られるようにすることです。
では、
実際どうやったらそう思えるようになるのでしょうか・・・。
あなた様にそんな「心の安らぎ」を提供できるような
環境(店柄)にしていきたいと思っております。

